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おかしすとレポート

スイーツセラピー from 関西

松本由紀子さん

スイーツ&シェフとの会話が笑顔の秘密!

2009/10/29 インタビュー / パティスリー

シェフインタビュー 「サロン・ド・テ・ジャマン」 宿院幹久シェフ

今回は「サロン・ド・テ・ジャマン」の宿院幹久シェフにインタビューをさせていただきました。

フランス料理のレストランの2階にある隠れ家のようなサロン・ド・テ。
“ 作りたて ”の美味しさにこだわる宿院シェフに
様々なおもてなしの心をおうかがいしてきました。

サロン・ド・テ・ジャマン公式HPはこちら(PCのみ)

01宿院幹久シェフについて
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「サロン・ド・テ・ジャマン」 宿院幹久シェフ

 
 
■宿院幹久シェフ プロフィール

1961年 大阪府茨木市出身
1979年 ホリデイイン南海入社(オープニングスタッフ)
1984年 洋菓子店入社
1987年 大阪全日空ホテル入社
1988年 大津プリンスホテル入社(オープニングスタッフ)
2001年 ザ・リッツ・カールトン大阪入社
      フレンチレストラン ラ・ベにてシェフパティシエに
2005年 レストランジャマン2階にてサロン・ド・テ・ジャマン開業
      レストランオーナーシェフ秋田伸二氏とは
      大津プリンスホテル時代からのベストコンビ!



■パティシエになったきっかけ

高校時代の柔道部の先生の勧めで、ホリデイイン南海に入社し、
最初は料理人をしていたんですが・・・
フィユタージュの焼成を観察したときに、その変化にすっかり魅了され
パティシエの道に進むことを決めました。

そして23歳の時に、街場の菓子屋も経験した方がいいということで、
住み込みで3年間働きました。
とても厳しい職場でしたが、とても勉強になったと思っています。
その後、大阪全日空ホテルに2年間勤務しました。
 
 
 

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サロン・ド・テ・ジャマン 外観

 
■大津プリンスホテルでの修業時代 

27歳の時に、オープニングスタッフとして入社しました。
最初はペストリーブティックに配属されました。
ここには20数人のパティシエがいて、初めは5番手でしたが、
最終的にはブティック責任者を務めました。

数年後、現在レストラン「ジャマン」のオーナーシェフである秋田シェフのいる
38階のフランス料理 「ボーセジュール」に配属になり、
こちらでも最終的に製菓長を務め、計13年間勤務しました。
当時このレストランでは、フリップ・オブロン氏がTOPを務められていて、
その他にも、今では各地のプリンスホテルで料理長クラスのシェフが
たくさんいらっしゃいました。

オープン当初から、大津プリンスホテルは大変人気があって、
ホテルに入る為の車が渋滞して、警察が出たほどなんですよ。
でも私ともう一人のスタッフ二人体制だったので、忙しくて、毎日が戦争のようでした。
それでも、アラカルトmenuを8種類ほど作っていたと思います。
新しいデザートを考えると、まずオブロン氏に試食してもらうんですが、
マロンのデザートは凄く喜んでもらえたのを覚えています。


 
■全国のプリンスホテル対抗のコンテスト

実はこのマロンのデザートはコンクール用に考えたものだったんです。
プリンスホテルでは、毎年全国のプリンスホテル対抗のコンテストがあるんですが、
秋田シェフと小山シェフ(現・宝ヶ池プリンス)と一緒に出場して、優勝したんです!
秋田シェフが肉料理を、小山シェフが魚料理を、そして私がデザートを担当しました。
当時30歳ぐらいだったと思います。

テーマが「秋をイメージした栗のデセール」だったので、
クレープを3枚抜いて、粉糖をかけてガレット風に焼き、
栗のムースに立てかけたデセールを作りました。
そして、そこにグリオットと赤ワインのソースをかけたところ・・・
偶然にも琵琶湖のような形になったんです。
それを見た審査員に、琵琶湖をイメージして作ったのか?と聞かれて、
思わず、ハイ!と答えてしまったんです。
実はそんなつもりは全然なかったんですけどね(笑)
それが功を奏したのかどうかは分かりませんが、優勝してしまいました。

翌年は、デザート部門に一人で出場し、コンテスト優勝、
社員が選ぶデセール部門優勝、お客様が選ぶデセール部門優勝
の3部門を制覇し、総合優勝を果たしました。
この時は、チョコレートでグランドピアノを象り、
蓋を開けると、フルーツがいっぱいに詰まっているようなケーキを作り、
ショパンのレコード、楽譜、蓄音器、羽ペンなどでデコレートしました。

この時初めて、東京のシェフの方々からも、大津にもなかなかやる奴がいるなぁ…
と認められた気がします。
 
 
 

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レストランからサロンへと続く螺旋階段

 
■ザ・リッツ・カールトン大阪「ラ・ベ」へ

オープニングスタッフとして、すでに秋田シェフが
「ラ・ベ」に入られていたのですが、それから4年程経って私が40歳の時に、
デザートが弱いのでシェフ・パティシエとして入ってくれないかと誘われました。

実はちょうどその時、プリンスの課長試験に合格したところだったので、
このままプリンスに残るべきか、リッツに行くべきか、かなり悩んだのですが・・・
フランス人シェフとも仕事がしたかったし、
(現在、大阪・西天満のレストランデビッド・セニアのオーナー・シェフである
セニア氏が、当時ラ・ベの料理長を務められていました)
これまでやってきたことが通用するか、自分の実力を試してみたかったので、
「ラ・ベ」に行くことを決めました。
そのままプリンスにいれば、安泰なのは分かっていたのですが、
妻は、私の好きなように・・・と言ってくれたことにとても感謝しています。

当時はバブル絶頂期だったので、「ラ・ベ」も常に満席状態で、
決算時売上を達成すると全社員にボーナスが給付されるというとてもいい時代でした。

デザートのメニューは、セニアと私の二人で決めていたのですが、
セニアは、ピラミッドを逆さまにできないか?!など
突拍子もなくサプライズ感があり、エレガントな盛り付けを考えるので、
一緒にいてやはりとても勉強になりました。

「ラ・ベ」は、料理・サービス・設えともハイレベルなお店だったので、
雑誌等からの取材も多く、来てくださるお客様もハイレベルな方が多かったです。
でも我儘なオーダーをされるお客様も多くて・・・
いきなり茄子でデザートを作ってくれ!と言われた時はどうしようかと思いましたよ。
だけど「ノー!」とは決して言ってはいけないので、茄子を薄くスライスして、
シロップに漬け、真空状態にしてカリカリに焼き、
ミルフィーユ仕立てのデザートを作りました。

このように、何があってもノー!と言ってはダメという状況下に身をおいたことで、
咄嗟に何かを決断し、実行する力、何があっても臨機応変に対応する力を
身につけることができたと思います。
 
 
 

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