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おかしすとレポート

スイーツセラピー from 関西

松本由紀子さん

スイーツ&シェフとの会話が笑顔の秘密!

2009/09/19 インタビュー / パティスリー

シェフインタビュー 「パティスリー モンプリュ」 林周平シェフ

今回は「パティスリー モンプリュ」の林周平シェフにインタビューをさせていただきました。

林シェフの頭の中には、まだまだこれからの新しい展開が満載のご様子。
今後の「モンプリュ」さんの動向から目が離せませんよ!

モンプリュ公式HPはこちら

01林周平シェフについて
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「パティスリー モンプリュ」 林周平シェフ

  
■林周平シェフ プロフィール

1965年 香川県出身
1984年 「東洋ホテル」製菓・製パン部入社
1986年 「ホテルシェレナ」パティスリー入社
1989年 渡仏 「ニッコー・ド・パリ」パティシエ
1990年 「ジャン・ミエ」パティシエ
1992年 「ホテル阪急インターナショナル」パティスリーに入社 
1998年 「シーサイドホテル舞子ビラ神戸」パティスリーに入社
     '01年シェフパティシエに就任。
2002年 「御影 高杉」シェフパティシエ
2002年 「3 Rue Bixio」主幹
2005年 「monter au plus haut du ciel(モンプリュ)」オープン
2007年 「mont pius PAYSANNE(モンプリュ ペイザンヌ)」オープン

’02年 「第8回クープ・ド・モンド国内選考会」ファイナリスト銅メダル、
など受賞歴も多数。



■パティシエになったきっかけ

取材でよくこの質問を受けるんですが・・・

特に昔からパティシエになろう!と考えていたわけではなかったんです。
でも、子供の頃に母が家でよくおやつを作ってくれていたのが
きっかけの一つになったのかなぁ…と今では思います。
手の込んだデコレーションケーキのようなものではなく、
ベニエやスポンジケーキのようなとても素朴なお菓子でした。

でもだからと言って、パティシエになろうと考えていた訳ではないんですが・・・
昔も今も変わらず物作りが好きだったので、高校卒業前に
お菓子の道に進もうと決めました(料理への道も考えられたそう)
本当はやるからには、高校を卒業したらすぐにフランスに渡り、
フランス菓子をやりたい!と思ったのですが、周囲から凄く反対され(笑)
知人からの紹介もあり、大阪の東洋ホテルの面接を受けることになりました。


「東洋ホテル」では製菓製パン部という部署に配属されたので、最初はパンから始めました。
就職はしたものの、ずっとフランスに行きたいという思いは持ち続けていたので、
この時は渡仏のためのお金を貯めていました。
今振り返ると、働き出したばかりで何も知らなかった2年間なのに
すでに生意気にお菓子を語っていましたね(笑)

その後「ホテルシェレナ」にオープニングスタッフとして行きました。
この時に製菓長として就任されたのが高杉さん(御影高杉)でした。
このホテルは、婚礼が8〜9割を占めている結婚式場のようなホテルでしたので、
多い時は、一日に数千食分ものお菓子を作っていました。

ホテルシェレナで3年ほど働いた頃、仏の「ニッコー・ド・パリ」に
父親の知り合いがいることが分かったんです。
そこで良かったら来ないかと言ってくださったので、すぐに渡仏する決心をしました。
 

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林シェフのスペシャリテ ヴァランシア


■フランスでの修業時代について

実はパリでどうしても働きたいと思っていたお店があったんです。
だからなにがなんでも、フランスへ行きたいと思っていたんです。
そのお店とは・・・パリの「ジャン・ミエ」というお店です!

「ジャン・ミエ」は、特に新しいとか、人気があるとかいう
お菓子屋さんだったわけではないんですが、日本にいる時に
ジャン・ミエ氏が掲載されている雑誌を見る機会があって・・・
その時、そのお菓子の力強さに凄く衝撃を受けたんです!
彼のお菓子作りに対する考え方には強く惹かれるものがあって、
これこそがまさに、自分の思い描く“フランス菓子”だと感じられたので、
どうしても「ジャン・ミエ」で働きたいと思っていたんです。

「ニッコー・ド・パリ」で研修をしていた半年の間、休みのたびに
「ジャン・ミエ」を訪れては、働かせてください!とお願いしていたんですが、
12回連続で断られ続けていました。
ところが知人の中に、当時「ジャン・ミエ」のシェフであったドゥニ・リュッフェル氏と
仲が良い方がいらっしゃることが分かって、引きあわせてもらえるように
お願いしたところ、すんなりとお会いすることができて・・・
明日からでも来られる?言われ、あっさりと働けることになったんです(笑)
13回目のチャレンジにして、ようやく夢を叶えることができたわけです!
周りの方々にも凄く恵まれていると思っていますが、
思い続ければ必ず願いは叶う! チャンスは必ず巡ってくる!と信じています。


■影響を受けたシェフ

当時ジャン・ミエ氏はすでに現役から退いていて・・・

ドゥニ・リュッフェル氏がシェフを引き継いでらっしゃいました。
そしてこのドゥニ氏こそが、我がパティシエ人生の中で、
一番大きく影響を受けた方だと思っています。
人生においてに、自分が影響を受けたと思える人に巡り会える機会って
本当に稀だと思うんですね。だからドゥニ氏に出会えたことは、
自分の人生において、本当に宝物だと思っています。

そして日本人では、当時二見さんという方がいらして、とてもお世話になりました。
物凄く仕事ができて、人間的にも本当に素晴らしい方で、
私の師匠とも呼ぶべき、非常に尊敬している方です。
フランスという外国の地で、お菓子作りに対して持っている気持ちが一緒でした。
実際一緒に働いていた期間はそれほど長くはなかったんですが、
毎日長時間一緒に働いていたので、凄く長期間一緒に仕事をさせていただたような気がします。


■「ジャン・ミエ」での修業時代に学んだこと

とにかく「ジャン・ミエ」は、仕事に対する姿勢や取り組みが
とても厳しい店だったので、常にそこには極度の緊張状態がありました。

それを乗り越えてきたからこそ、今は何に対しても緊張するということがなく、
なにかアクシデントが発生しても、動じることなく対処できる
自分になれたんだと思います。

自分のお菓子作りのベースはやはり、「ジャン・ミエ」にあると思います。
とにかく自分には、伝統的なフランス菓子を伝えていく使命がある!
という思いが強いんです。

「ジャン・ミエ」で培った菓子作りを原点におきながら、
かたくなにそのルセットを守り続けるのではなく、
自分のオリジナリティをプラスすることで、日々進化させていっています。
しかしそれは決して古き良きフランスの伝統を崩すということではなく、
素材と率直に向き合うことで、柔軟に発想を転換していくということなんです。
食べた後にも素材の美味しさを味わったという印象が残るような、
素材の個性を際立たせた“進化形”のお菓子を作り出そうと、日々考えています。


現在私のスペシャリテでもあるこのヴァランシアは、
「ジャン・ミエ」での修業時代、クリスマスにマダムから、
このヴァランシアのブッシュ・ド・ノエルをもらって帰り、
あまりの美味しさに、思わず一人で一本(24cm 6人分)を
食べてしまったという思い出深い、思い入れのあるお菓子なんです。

表面を少し焼成したメレンゲは、カリッと感とやわらかさがあり、
中には冷たいオレンジのバヴァロアと、
グランマルニエに漬け込んだみずみずしいオレンジが入っています。
その驚きがこのお菓子のポイントなんです!


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モンプリュ 厨房にて


■フランスから帰国後

「ホテル阪急インターナショナル」のオープニングスタッフして
現在菓子'sパトリーの製菓長を務められる田中哲人シェフ、
イグレックプリュス北野店の製菓長を務められる多田征二シェフ、
そしてモンプリュのスーシェフを務められる村田博シェフと
職場を共にされた6年間・・・

現在期せずして、神戸のごく近い場所でそれぞれがシェフを務められ、
今でも素敵な先輩後輩、友人関係を築かれている4人のシェフの方々。
20年近い時流れても、お互いに尊重し合えるこんなに素敵な人間関係が
築いていけるものなんだなぁ・・・といつも傍らで羨ましく拝見しています。
4人のシェフの皆さまの関係においては、今後も様々なエピソードが
作り続けていかれることと思いますので、こちらは私も命ある限り(笑)
追跡取材を続けていきたいと思います!


その後、オ・グルニエ・ドールの西原金蔵シェフからのお誘いもあり、
「シーサイドホテル舞子ビラ神戸」でオープニングスタッフを務めることに。
西原シェフが3年間製菓長を務められた後を引き継ぎ、1年半製菓長を務め、
その後さらに「御影高杉」で製菓長を務め、独立へと向かわれました。

 

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